羊の水海

料理

「君が料理をしてくれるなんてめずらしいねー。期待しちゃってもいいのかな?」
「ああ、存分に期待してくれ。一生の思い出になるような夕食を振る舞ってあげよう」
「そんな自分からハードルをあげなくても・・・・・・」
「大丈夫。自信がある」
 付き合ってもう五年になる彼女がいる。友人たちも家庭を持ち始めたし、僕もそろそろ頃合いが来たのかなと思い、僕は彼女にプロポーズをすることに決めた。
 以前一緒にテレビを見ていると、たまたまサプライズでプロポーズをするというものが放映されていた。男が彼女に「マジックを練習中だから見て欲しい」と何気なく言い、トランプのデッキのなかから一枚を選ばせて、それをデッキの途中に入れる。指をぱちんと鳴らすと「一番上に君の選んだカードがあるよ」と囁き、めくらせる。いわゆるアンビシャスカードというやつであるが、このときは女性がカードをめくるとそれは白紙の上にプロポーズの言葉が書かれたトランプだった。女性が驚きで言葉を失っているあいだに傍らから指輪の箱を取り出してトランプに書かれたプロポーズの言葉を投げかけるという、僕からしたらしょうもないなあという感想しか浮かばないサプライズだった。
 しかし彼女は違ったようで、そのサプライズに興奮したようで、私もこんなサプライズをされてみたいなあ! と大きな声でこれ見よがしに言っていた。
 だから僕はプロポーズをするのならサプライズかあ、と勝手にプレッシャーを感じてしまい、それがここまでプロポーズが遅れたことの大きな一因であった。
 もともと発想力なんて乏しいほうだったので、考えても考えても何も思い浮かばなかった。しかしいつまでも先延ばしにしてはいけないと思い、このたび、僕は料理のなかに指輪を忍ばせるというお粗末なサプライズプロポーズを決行することにした。本当に一生の思い出になるように成功させなければ。
 今彼女はリビングでテレビを見ている。何を見ているのかはキッチンからは見えないけど、彼女の笑い声から察するにおそらく何らかのバラエティー番組だろう。初めは彼女も僕の料理を手伝う気満々であったが、それだと今回のサプライズは実現が難しくなってしまう。彼女の見ていない隙を見計らって料理に忍ばせることもできるだろうが、それではまるで睡眠薬をカクテルにこっそりと入れる良からぬ輩のようではないか。そんな心持ちでプロポーズなんて当然したくはないので、僕は彼女に頼み込んでキッチンから彼女を追い出した。
 さて、と僕は用意した食材を並べる。まず料理に期待させているからにはそれなりのものを作らなければいけない。この日のために僕は何ヶ月も前から毎日クックパッドをにらみつけて料理の技術を上達させ、レパートリーを増やした。前までは炒飯か焼きそばばかりだった僕の食卓にも今では色鮮やかで香ばしい料理が並ぶようになった。この料理技術の上達というものをおろそかにしてしまうと、炒飯に指輪をぶっ刺すといったロマンティックさの欠片もない、ある意味では驚愕の極地のプロポーズになってしまっただろう。
 今回作るのは様々な種類のチーズをふんだんに使ったドリアと、オリーブオイルが香る鱈のアヒージョ。あとはコーンスープにシーザーサラダ。これが今の僕の最大限。
 料理を作るのは日頃の努力のおかげで何の滞りもなく済んだ。給料の数ヶ月分を使って購入した高価な指輪はドリアのなかに忍ばせてある。元々吝嗇家で食材などの必要なもの以外買わない僕にとってはとても大きな出費だった。今までの人生を反芻してみても、おそらくは一番大きな買い物だったのかもしれない。しかしこれは輝かしい未来につながる大きな投資であり、決して無駄なものではない。
 僕は完成した料理を彼女のもとに持って行った。テーブルに広がる鮮やかな料理を見ていると我ながら上手にできたと感心する。料理を趣味にしてみてもいいかもな、とさえ思った。
「凄い! お店で出てくる料理みたい! もっとしょぼい料理を想像していたよ。適当に野菜を炒めただけとか」
「だから自信があるって言ったでしょ? ほら、召し上がれ」
 彼女は笑顔で両手を合わせて「いただきます」と元気よく言って、食べ始める。まずドリアにスプーンを差し込んで、ライスを掬い上げて口に入れる。
「おいしい! 見かけだけじゃないんだね」
 僕は少し得意げになった。
「そっちのアヒージョもうまくできたんだよ」
 彼女はそれから僕のつくった数々の品を口にして、そのたびに褒めてくれる。
 指輪は最後のほうに見つけてくれるように、忍び込ませた箇所が一番遠くなるようにドリアを配膳をした。今のところ抜かりはない。あとは食事の終盤になって彼女が指輪を見つけてくれるのを待つだけだ。
 彼女がドリアの指輪を隠した箇所にスプーンを差し込んだとき、僕は緊張した。彼女はそのまま掬い上げて、口のなかに放り込むと、眉毛を傾けた。
「あれ・・・・・・、何か入ってる」
 僕は彼女が指輪を見つけて、プロポーズの言葉を言うのを身を固くしながら待っていた。彼女は口のなかに入れた不可解なものを、手のひらに出し、それが何かを確かめた。
 僕の位置からでもそれが指輪であることがはっきりと見ることが出来た。彼女はそれをしっかりと見て、少しの硬直のあとでそれが指輪であると認識したように見えた。
 ここだ、と僕がプロポーズの言葉を言おうとした。しかし僕はそれを口から発することができなかった。
 彼女は指輪をそのまま再び口のなかに入れて、飲み込んでしまった。そしてすぐに残っていたドリアをすべて平らげて言う。
「あー、おいしかった! また今度作ってね」
 僕は何がなんだかわからなくなった。彼女は確かに指輪だと認識したはずだ。それなのに飲み込むんだなんて。おそらくは僕の考えていることもわかってしまっていただろう。一体どういうことなのだろう。僕の愛をすべて飲み込むということなのか、それとも僕の愛を見て見ぬふりをしたという拒絶の証なのか。
 彼女のいつも通りの笑顔を見ていると、僕の告白への解答はイエスだったのかノーだったのかまったくわからなくなってしまった。
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