羊の水海

猫の死骸

 最近は玄関に行くということがとても億劫で、それが一体なぜかというと僕の家の玄関のポストを見ていただけるとその原因はすぐにわかるだろう。玄関に近づくにつれて、獣の腐った匂いや血肉の鼻を刺す匂いを感じるようになる。そしていよいよ玄関に対面をするとその匂いは格段に増して、頭痛、吐き気、動悸などの症状が出る。それを我慢して、しゃがみ込んで郵便受けを開けると、いつもと同じように肉の塊がそこに入っている。血で真っ赤になってしまったそれをよく見ると、茶色い毛のようなものに覆われている部分があり、おそらくは猫である、いや、猫であったということが辛うじてわかる。
 一体誰がこんなことを、と僕は頭を悩ませながら毎日のようにビニール袋に入れて、近くの空き地に穴を掘って、それを供養してあげている。
 それが投函されるのに規則性は全くなくて、一週間何もない日が続いたと思えば、五日連続で投函されていることもあった。投函される時間帯はどうやらいつも真夜中らしくて、僕はそれが投函されたときは早朝に目を覚ましたときに玄関から廊下を伝って六畳の部屋にまで微かに届く匂いで察知する。
 一体誰が何のためにこのようなことをしているのか。全くわからない。
 今日も目が覚めると、異臭が鼻をついて、「しまった。またやられてしまった」とぼやいてしまった。この狂ってしまいそうな匂いと仲良く生活するなんてことは当然できないので、とりあえず玄関に向かい、郵便受けののそれをビニール袋に包んで、郵便受けをきれいにタオルで拭いてから、小さめのシャベルとビニール袋を持ち部屋を出る。
 部屋を出ると、丁度隣室のババアが仁王立ちしていて、僕を鋭い目つきで睨んできた。
「最近、あなたの部屋から変な匂いがするのだけど、何かおかしなことしてない?」
「何もしてないですよ」
「じゃああなたの手に持っているそれはなに? 真っ赤じゃないの」
「すみません。何か鼻血が大量に出て止らなかったんですよね。はは、参ったもんだ」
「その手に持っているシャベルは何?」
「ああ、これですか? ちょっとゴミを捨てに行くついでにそこら辺に花の種でも植えていこうかと思いまして。花っていいですよね。見ているだけで心が安らぎますよ。今回植えるのはマリーゴールドなんですけど、咲いたらあなたにも教えますね」
 僕の軽口をきっと真面目に受け入れていないババアは睨んだまま自分の部屋に帰っていった。細かいことでぐちぐちとうるさいババアだな。今後関わり合いになりたくないね。
 さて、と僕はそのビニール袋を持ち、いつもの空き地に行く。そこであたりを見回してまだ掘り起こしていないところを予測する。僕はいつも適当に穴を掘って埋めているものだから、適当に掘り起こせば前に供養したビニール袋と出くわしてしまう事態もあるだろう。
 ここだ、と思ったところを掘り返し、何も出てこないことを確認してから僕はビニール袋を埋めて、土をかぶせてやる。タバコをポケットから取り出し、一回だけ吸ってそれを今埋めたところに線香代わりに投げ捨てて、合掌。君はキチガイに無残に切り刻まれて悲しい生涯を送ったね。来世では幸せな人生を送るように。

 アパートに戻ると、その前にパトカーが止っていた。一体何か事件でもあったのかしら、と部屋に戻ろうとすると、警官に呼び止められた。
「あの、104号室のかたですか?」
「え? ああ、そうですけど」
「実は何か異臭がするとかで通報を受けて駆けつけたのですが」
 くっそ、さてはあのババアだな。通報しやがって、と僕は少し苛立ってしまう。
「異臭、ですか。それがですね、最近猫の死骸をポストに投函されているみたいで、僕も困っているんですよ」
「本当ですか!? ちょっと詳しくお話を聞かせて貰えませんかね」
「そいつの言っていることはデタラメばかりよ! 信用しないで!」
 いつの間にかババアが自室から出てきて、怒鳴り散らした。何をもってこいつはデタラメと言っているのだろう。僕はいま自分の置かれている状況を真面目に話しているんだよ。余計な茶々入れやがって。殺してやろうか。
 僕は警官の耳元で「あのおばさん、どうやら気が触れちゃってるらしいんですよ」と耳打ちをする。それで警官は納得したのか、ババアに自室に戻ってくれるように促す。それでもまだババアは訳のわからないことをわめき散らして、最終的には奇声と共に部屋に押し込められた。ざまあみろババア。部屋に閉じこめられてゴキブリでも食べて一生を終えてろ。
「では、立ち話も何ですし僕の部屋に行きましょう。現場も見る必要があるでしょう」
「そうですね。それでは申し訳ないですけどお邪魔させていただきます」
 僕が警官を連れ立って自室に入ると、まだ今朝の残り香が残っていたのか警官はすぐに顔をしかめてしまう。
「いま処理したところなんですけど、まだ少し匂いますね」
「そうですね・・・・・・」
 と警官は言いながら僕の廊下の向こうの僕の六畳一間をちらちらと見る。
「どうしたんですか?」
「いや・・・・・・、あの、少し匂うとかじゃなくて、もの凄い刺激臭を感じるのですけれども・・・・・・。玄関じゃなくて向こうの部屋のほうから」
「部屋? 部屋はきれいに片付けてありますので、特になにも変わりはないと思いますけど。そんな変な匂いします?」
「一応部屋のほうも見させていただいてもよろしいですか?」
「はぁ、いいですけど」
 僕は先導して警官を部屋に連れて行く。
「ほら、大したものないでしょう?」
「あの・・・・・・、これなんですか?」
 警官が指をさしたのは僕の部屋の中央に位置するオブジェだった。これは僕の力作で、今度の芸術系の展示会に出展しようと考えていた。
「ああ、これは僕が作った作品です。こう見えて僕は芸術家なんですよ」
「これ、何でできているんですか?」
「人間です」
 警官がどうも僕の言った言葉が理解できないようで凍り付いた表情をしていたので優しく教えてあげることにした。
「これは人間の死体で作られているんですよ。ほらこの翼の部分は手でできているんです。一本だとどうしても翼には見えなかったので、何本も用意するはめになったので素材集めには苦労しましたね。腕の部分はあえて足をはやしてみました。革新的でしょう。それとは逆に足の部分には手をはやしてみました。特に意味はないんですけどね。ただ僕の美術家的一面がそうすると良い作品になると訴えかけてくるんですよね。この顔の部分は三面になっていて、前面は僕が高校生のときから付き合っている彼女で、左の面は中学時代に半年ぐらい付き合っていた女の子で、右の面は小学生のときに好きだった女の子なんですよ。ちょっと感動しませんか? 僕の人生がこの作品に収められているといっても過言ではないでしょう。いやあ、これは傑作だ。この作品を世に出せば世間は黙っていないでしょうね。きっと僕は脚光を浴びて一躍時の人になったりするかもしれないですね。そのうち情熱大陸なんかにも、『天才美術家』だなんて肩書きで密着されるかもしれませんね。そのために少しは格好良い服を買ってこないとなあ。次の休みの日にでも買いに行くことにしよう。おっとこの作品のタイトルについて話してなかったですね。恥ずかしい話、まだ決まってないんですよ。率直に考えれば『思い出』とかになるのでしょうけど、それだと味気がないですよね。何か良いタイトルはありませんかねぇ」
 僕の問いかけに警官は何も反応を見せずただ立ち尽くしているだけだった。タイトルを熟考してくれているのだろうか。僕は彼の返事を気長に待つことにした。部屋の片隅に目をやると知らない女の頭が転がっていた。おそらく翼をつくるために用意した素材のひとつだろう。僕はそれをビニール袋にくるんで、いつもの空き地に捨てに行った。
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