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トレインスポッティング2の公開初日ということで、見に行ってきた。前作から約20年経ってからの続編というところで非常に感慨深いが、僕のトレインスポッティング歴はそれほど長くない。確か三年ほど前にTSUTAYAでDVDを借りて見て、それ以来取りつかれたようにハマっている。T1自体はヘロインという社会の闇、堕落の権化のようなものを打ち続けるどんよりとした内容であったが、それをテンポの良いBGM、個性的なカメラワークと演出、ハイレベルなファッションなどによってスタイリッシュに見せていた。そのどことなくオシャレな雰囲気に見事に魅了されてしまい、サウンドトラックを聞きながら原作を読み、続編を読み、前日譚を読んで過ごしてきたわけだけれども、今回はいよいよ待望の映画の続編ということで、逸る気持ちを抑えながら映画鑑賞に行った。今回は原作の続編である小説『ポルノ』の映画化だと思い、見に行ったのだが全くの別物であった。ポルノ自体は原作より九年後あたりを描いている、まだ登場人物が若いうちの作品なのに対して、今回のT2は二十年後を舞台にしているということなので、変更点があるのは仕方がないことではある。(そもそもポルノはその題の通りポルノ映画を作る話なのでそのまま映像化すると見事にR18の作品になってしまう。)ポルノの人間の汚い欲望が生々しく描写されている点や自己中心的で自己愛に塗れている姿が映像化されていることを期待して見に行ったら少し拍子抜けだった感じがある。しかし、見終わってから、じわじわとこれはこれで完成されたものだったなあと思うようになった。中年男性になったからこその世界の見方、考え方、世の中の不満、過去に対する思い、親子の関係性諸々に思うところがあって、正直僕は一回見ただけではすべてをきちんと受け止められていないんだろうというところが大きかった。相変わらずBGMはハイセンスであったし、前作と比べて演出も格段にオシャレになっていた。前作のカットを再現しているところも多々あって、そのたびににやけてしまった。視覚的にも良いものであったし、内容自体も深かった。欲を言えば、もう少しシックボーイことサイモンのシック感が表現できていれば、満足だった気もある。ポルノの魅力はそこに詰まっていたのだとも思うし。前作よりは落ち着いていたが、やっぱりジェットコースターのように展開の激しい映画であった。一瞬で見終わった気もするし、何時間も眺めていた心地もする。また見に行かなければならないなあ。(17.4.8)
朝目覚めると顔も服も血まみれだった。寝込みを襲われて誰かに刺されたわけではなく、単純に鼻血を出していたようだ。幸いに起床したときはすでに止まっていたが、ただでさえ低血圧なのにこんなに無駄に血を流してしまって大丈夫なのか、とも考えた。だが血圧と血の量の関係性が僕に学がないせいでわからなかったので、少し頭がぼぅとするがいつも通りと思うことにした。起床したあとはシャワーを浴びたが、そのときもぽたぽたと鼻から血が流れだして、僕はその血の玉が濡れた浴室の床に落ちて弾けていくのをただただ見ていた。そのあとは普通に出社して、普通に仕事をしていたが、ここでまた鼻から赤い液体が流れだした。いやいや、どうなっているんだ僕の鼻は。今日一日で無駄な血を流してしまったなあ。……こう書くと、僕がいかにも何人か無関係な民間人を殺してきた殺し屋みたいな雰囲気になってしまうかもしれないが、流れたのは他の誰でもない自分の血で、それも鼻から垂らすというくだらない血の出し方だった。まったくくだらない。そういえば一昨日も寝てる最中に鼻血が出ていた。睡眠の合間に鼻血を出したことに気づいてかすかに目が覚めたが、処置するほど脳が覚醒していなかった。仰向けに寝ていたので、鼻の血管が裂けて流れ出る液体はそのまま食道を通っていったが、時折口のなかに入り、鉄に似た嫌な味が口内に広がっていた。僕はその状態のままただただ眠りに落ちるのを待っていた。先週あたりまでは精神が良い方向に向いていたが、今週は絶不調で、体も昆虫のようにしか動かせないし、常に不安感に駆られてしまっていた。もしかしたら僕の心が傷ついてしまっていて、その裂け目から溢れだしたものが鼻血という形になって流れているのかもしれない。どうしようもないなあ、本当に。(17.4.6)
バス停の前のベンチに揃いも揃って薄汚れた服を着た三人の家族が座っていた。脂が皮膚の上で層になった顔で何やら呟く父親と袖で鼻水を延々と拭い続ける母親。どう見ても小学生ぐらいの肥満体系の子供は、手に持ったタバコに何度も口づけをしていた。不快感とか嫌悪感とかを通り越して、見てはいけないといった気持ちが強く、目をそらしていたが、人間というものはそういうアンタッチャブルな存在をどうしても気にしてしまう生き物だから、ちらちらと何度も視線を向けてしまった。そうしたなかでも、他人の目を気にせずに、父親はぶつぶつと何かを唱えているし、母親の袖は粘りのある液体で汚れていくし、子供はタバコに愛のキスをしていた。何度かバスが人を吐き出して、胃のなかに食料をため込んでいると、いつの間にかその家族は煙のように消えていた。もしかして僕の心の暗い部分が幻覚として見えていたのではないかとも疑ってしまい、必死に心のなかで今日見たきれいな風景を反芻していた。雪のうえを遊びまわるハクセキレイの姿や、夜空のなかで口角を釣り上げてほほ笑む三日月のことを考えた。そうしている間に、目的のバスが来たので乗り込んで、家路に着いた。ふと、もしかしたら僕自身も他の誰かには、僕にとってのその家族のように感じられているのかもしれないなあ、と少しだけ思った。(17.4.4)
八万円のノートパソコンを購入した。今までのパソコンは動作も重く、ひとつのソフトを開くのにも数分かかり、さらにはキーボードも何やら不調で、特定のキーが打てなくなって満足のいくタイピングもできないという始末であった。そんなパソコンで文章を作成するのは、ただただ鬱が溜まる一方だ。確か三年ぐらい前に四万円ほどで購入したものだったと思う。そろそろ買い時なのでは、と僕は溜まった鬱を解消すべく、地下鉄に乗り、バスに乗り、山に登り、ときには獰猛な野獣に追いかけられたり、地図にも載っていない集落で神に捧げる生贄になりかけたりと多数の困難を乗り越えて、晴れて僕はPCショップにたどり着くことができた。しかしいまいちどんなパソコンを買えば良いのかわからない。PCがずらりと並んでいるエリアの前で迷子のようにうろうろして、時折「ふーむ」と悩める子羊の真似をしていたら、フロアを浮浪者のように徘徊していた店員がつかつかと僕のところに駆け寄ってきて「PC、お探しなんですか!?」と声をかけてきた。店員にああだこうだと説明されて、使用用途とかも聞かれて、小学生のときに好きだった女の子の名前も聞かれて、キャッシュカードの暗証番号も聞かれて、家を出るときは右足から出るのか左足から出るのかも聞かれた。そうして色々と僕について詳しくなった店員が、ひとつのノートパソコンを持ってきて、「そんなあなたにはこれ!」と差し出してきて、続けざまに「これはこああいふぁいぶで、めもりもはちぎがばいとあってえすえすでぃー搭載だから起動も早くておすすめです!」と早口で巻きたててきた。何言っているのかちんぷんかんぷんで、何が何だかわからないままでいると、気づいたら店員の姿はもうなくて、僕の横には一台のノートパソコンと、八万円が抜かれた僕のサイフが転がっていた。最近のPCショップってこんな感じなのかあ、と時代の移り変わりを感じてしまった。ともかく僕は八万円のノートパソコンを買った。帰宅してから初期設定をすませて、いざ起動してみると驚きの性能で、今までのパソコンでは考えられないぐらいスピーディーに動いてくれる。あまりに早すぎて、僕が「YouTubeでいい感じの音楽でも聞こうかな」と思って、パソコンの画面を見ると、すでにケルト系の心が安らぐBGM集のページを表示していたり、テキストでも書こうと思って、エディタを開いたら、既に百万字の超大作が打ち込まれていた。最近のパソコンはすごいのだなあ、とつくづく感じた。百万字の超大作は僕がテキストを書くのに邪魔でしかなかったので全部消去した。するとパソコンが「なんでそういうことするの……? ひどいよぉ。せっかくあなたのために書いたのに……」というような目で見てきたので、僕は「ごめん。僕が悪かったよ」と優しく頭を撫でてあげた。それから長い間、お互いのこれまでとこれから先のことを語り合った。食事当番は日替わりで、ゴミ出しは僕が担当で、風呂掃除はパソコンがやる。僕は子供は二人ほしいけど、パソコンは絶対に三人! と断固として譲らなくて、そこで少し喧嘩になったりもした。それでもすぐに仲直りして、今日は一緒に寝ることになりました。僕は幸せです。皆さんもぜひ、新しいパソコンを買ってみてはいかがですか?(17.4.3)
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